イルミネーションが目に沁みる時期になりましたね。
クリスマスが来たんです。今日。
ということで、今回はキリスト教について話していきます!
基礎知識のおさらい
まず、基本から。
実は、ユダヤ教→キリスト教→イスラーム教は1つの流れなんです。後の宗教が前のものを「拡張」する形で生まれたのだから、当然、同じ神を信仰していることになります。
ヤハウェ(エホバ)、ゴッド、アッラー。この3つを別々に考えている人がたまにいますが、間違いです。実は全部同じ存在を指しています。
というか、ヤハウェもアッラーもゴッドも、神様の名前じゃ無いんです。そもそも一神教の世界観には神様を名前で区別する必要が無い。じゃあ、なんで別々の名前があるように見えるのかというと、言語が違うから。ヤハウェはヘブライ語、ゴッドは英語、アッラーはアラビア語です。ただ、それだけなんです。
ということでキリスト教を始めるにあたって、まずはユダヤ教から行きましょう。

ユダヤ教 〜キリスト教前史〜
まず最初に、最も重要なところから。
そもそも、ユダヤ教の神(ヤハウェ)とは、何者か?
もともとは遊牧民族であるイスラエルの民が信じていた、自然現象を象った神でした。それが、他の民族との戦争を経て、祭祀同盟を束ねる唯一神にランクアップした。時期は確定してませんが、それがだいたい紀元前1000年前後と言われています。
ヤハウェに関して大事なことは、ユダヤ民族だけの神じゃないということです。たしかにユダヤ教は、主にユダヤ民族だけでしか信じられていない。選民思想でもある。だから、ヤハウェはユダヤ教だけの、ユダヤ人のためだけの神様だと思われがちです。が、しかし。そもそもそれは「創世記」の記述を見ると間違いです。ヤハウェは天地を創造し、全人類を創りました。つまり、全民族のもとになってるわけです。しかしそのなかでも、ユダヤ民族だけが預言者を介して神と通信できる。そういうわけです。
…というのは実は後付けの設定でもあるのですが解説しておきましょう。紀元前6世紀、バビロン捕囚と言う事件があった。南ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされて、ユダヤ人たちが強制移住させられた。50年くらい捕虜として扱われた。その辛苦のさなか、ユダヤ人は考えるわけです。「なぜ我々がこんな目にあわなきゃいけないのか?」そして出た答えが「神は全人類にとっての神なのだから、他国が攻めてきたのも、神の思し召しによってなのだろう。これは我々に与えられた試練なのだ」と。こうして、神が全人類の神、全世界の神としてアップデートされたわけです。ユダヤ教が本格的にユダヤ教らしくなったのはバビロン捕囚の前後と考えられています。
そして一神教を理解するうえで重要なポイントは、神=絶対と捉えること。神は無限に偉大で、人間など、神の前では0に過ぎない。神は完全な<他者>なのですから、人間ごときがその全てを知ることなんてもちろんできない。
神様は何をするかわからないから怖いんです。人が、自分自身の作ったモノに対して所有権を持ち、それをいつ破壊しても構わないように、神様は被造物たる人間をどのように扱っても構わない。人類を破滅させてもいい。そして実際に人類を滅ぼそうとしたのが、かの有名な「ノアの方舟」です。敬虔なノアとその妻を除いて、人類リセットボタンを押したのです。そして人類が好き勝手暴れないように律法を授けた。神を信じることによって、天罰が下らないように、死後、天国を行けるようにと祈るわけです。それは自分自身の安全のために祈っている、と捉えることができます。
一神教であるユダヤ教にとって、祈りとは、不断の神とのコミュニケーションでした。多神教では、神の権力が分散しているため、神と対話することができませんでした。でも一神教においては、すべての出来事は神の思し召しであり、神が私たちに与えるわけです。だから神に向かって「どうして私がこんなに苦しむのか」と問うことができる。そしてそれを神が見ていると考えて、神の視点を内面化していく。赦し=神との調和=現実の苦しみとの調和を得るまで、問い続けること。それが祈りの本質なのです。
そして罪とは、神の命令に反することだった。
じゃあ実際にどのように信仰するか。ヤハウェに仕える方法は3つありました。
①儀式を行う
②預言者に従う
③モーセの律法に従う
そしてそれぞれの中心には、祭司、預言者、律法学者がいました。そしてそれぞれ、仲が悪かった。もともと預言者が神の言葉を聞いて、それを人々に伝えていましたが、のちに預言書がテキストとしてできあがったので預言者が要らなくなりました。それからは律法学者が権威を振るうようになって、預言者は何人も「偽預言者」として殺されるようになってしまった。イエスの直接の死因もこれなんです。
当然、偽預言者もあらわれうる。なんでこんな回りくどいやり方をしたのかというと、信仰には決断がいるから。どれが神の言葉かを自分で判断して、それにすべてを賭けようとする姿勢が問われている、と言い換えられるのかもしれません。
そしてその預言者の存在もあって、ユダヤ教は国家と仲が悪かったんです。王がいたとしてもその圧倒的上位存在の神がいて、王といえども普通の人間とさして変わらない。そして王が暴政を敷こうものなら、必ず預言者(本物かはわからないけど)が出てきて、「神の授けたルール=律法に違反している」と主張するのです。だから王も自由奔放にふるまうことができない。さらに王を認めるには、預言者、長老の同意が必要です。こうしてユダヤ教は権力をコントロールしていました。
最後に、ユダヤ教について付け加えること。それが終末論的な世界観です。「その日」に、神ヤハウェが直接現世に介入してくる。そして律法を守っているにも関わらず、ユダヤ教が虐げられている現状を変えて「正しく」してしまう。いわゆる、世直しが、終末なわけです。

補足①:偶像崇拝はなぜ禁止か?
偶像崇拝が禁止な理由についてです。
端的に言いましょう。この世には神か神以外かの区別しか無く、ほかのものは絶対的に神に服従するべきなのに、人間が人為的なもの(≠神)を信仰するからです。それは明確に誤っている。だから一神教では偶像崇拝は許されない。それはユダヤ教、イスラーム教、キリスト教でも同じなんです。
補足②:多神教と一神教
一神教は多神教と対立する、とよく言われます。だけどそれは正確には違うらしい。
一神教が対立するのは、「それまでの」多神教=伝統的な多神教なんです。多神教においては、人は神に儀式をしたり物をささげたりすることで利益を得ようとしていた。つまり人間中心なんです。これじゃ、人と神のどっちがえらいのかがよくわからない。だから矛盾です。だけどキリスト教とか、仏教とか、なんでもいいけどそういった「合理化」された宗教は、身近な神々を追放することで達成されました。神を絶対の距離に押し上げる、またはなくしてしまう。そうすることで、矛盾を解消しました。
異民族の侵入が無い地域では、普通、自然と調和した状態が築かれてアニミズムが発展するのだそう。一方、民族がバラバラになりかねない地域では、宗教を習慣として定着させることで、瓦解を防いでいたのではないかということ。ユダヤ民族が、世界に離散しながらも、何千年も同一民族としてのアイデンティティーを保っていたのは考えてみればすごいことですよね。

キリスト教
これまで長々とユダヤ教の話をしてきましたが、次はキリスト教です。
キリスト教とユダヤ教は実はたいして変わらないんです。イエスが、いるかいないか。それくらいの違い。そして、実はイエスはキリスト教を興そうとはしていなかったんですね。ただのユダヤ教の改革運動だったわけだ。
まず大事なことから。キリスト教を創ったのって、実はイエス本人じゃないんですよね。だって本人にとっては改革に過ぎないんだから。じゃあ、実際に作ったのは誰か?パウロです。あの、目からうろこが落ちたおじさんとして有名な、パウロです。そしてパウロはそもそもイエスと会ったことも話したこともなかった。こう聞くとショッキングじゃありません?
じゃあ本題。イエスについて。イエスはキリスト教ではどんな存在でしょうか。
イエスはキリスト教では神の子とされています。でも実際、歴史的人物としてのイエスはどうだったかというと本来は「義の教師」として活動していたわけです。本人は自分のことを預言者と捉えていたかもしれない。だけどそれがだんだん話が広がっていって、義の教師⇒預言者⇒メシア⇒神の子、となっていきました。そしてこの神の子という設定を考え出したのがパウロなんです。それが今のキリスト教の基礎となっている。キリスト教はパウロが作ったと言っても過言ではない。
だから本来イエスは預言者だった。だけどキリスト教においては、神の子と解釈するのです。預言者が神の言うことを代弁するのに対して、イエス自身は神の代理ですからより位が高いんです。だからキリスト教でキリストはえらい。
キリスト教の教科書的な記述を見てみると、「イエスは祭式主義のパリサイ派を否定し…」となっている。これ、さっきみた祭司・預言者・律法学者の祭司が、パリサイ派なんです。イエスの宗教改革は何をやったか。複雑で形式化してしまった律法に対して、もっとシンプルなルールを提示したんです。それが<隣人愛>。人類を平等に愛しましょう、という思想です。
ユダヤ教の世界観で行くと、①まずヤハウェが全人類を創造して、②ノアの洪水で人類を滅ぼしかけて、③モーセに律法を授けた。だけどキリスト教になると、最後に④まだ十分にルールが守られていなかったから、神がキリストを送り、キリストの死によって人類の原罪が浄化された、そう考えるんです。
なぜキリストの死によって人類の原罪が許されるのか。そもそも原罪とは何か。
原罪はキリスト教特有の考え方です。どれだけ信仰を守ろうとしても、結局人間は堕落してしまう。堕落するのが人間本来の性質なんだから、人間そのものが存在として間違っている。そういう考え方です。
それがイエスが死ぬことによって解決された。これはどういうことかというと、同害復讐のような考え方らしいです。人類集団がまず、神の契約を裏切る。だから本来は神は人類を裏切ってもいい(=皆殺しにしてもいい)。だけどそこで、イエスが「私が全人類の罪を引き受けます」と言うことで、神から人類へリベンジする権利は、それで消費されることになる。(こんな回りくどいことをするのは、神も契約に縛られているから?)。そういう論理です。
神はイエスを、人類を赦すために遣わした。
かつてアブラハムが子のイサクを殺して神への忠誠を示そうとしたことがありました(旧約聖書)。神はそれに満足して、恩を返そうとした。だからその相似として、息子のイエスを遣わして、しかも殺すことで、人類全体を赦そうとした。
イエスの死。それが人類救済に不可欠だった。それを信じることが救済への道だ。そう主張するのがキリスト教です。
ついでイエスの死についてです。イエスは死にたくないと思う一方、死ななければならないこともわかっていた。イエスは、自分は絶対に悪い行いをしていないにも関わらず、人間の方で裁かれて死ななければならない。そこでユダの役回りが必要になった。「ユダの福音書」というのが2006年に発見されました。(内容の真偽はともかく)、それによるとイエスはわざわざユダに頼んで、自分を裏切るように指示したらしい。もちろんこの説はカトリックからしたら到底許せないものですが。

論点になってくるのがイエスは人なのか、神なのか、ということ。キリスト教はここに重大な矛盾を抱えています。イエスは神の言葉を語るためにも、自分が神の子だということを自覚していなきゃならない。そうすると、死ぬ前に復活するだろうことを知っていたはずです。だけどそうすると、「イエスの死」という重大事件のインパクトが薄れてしまう。一方、イエスを人間だとしたら、そもそもが偽預言者なのだから、キリスト教は成り立たない。じゃあ、イエスは人か、神か、どっちなのでしょうか。
公式見解があります。結論、「神かつ人である」と。キリスト教はそうせざるをえなかったわけです。ネストリウス派は、この点、神性と人性を分離して異端宣告されてしまった。
そしてイエスを埋めるんですが、二日後にイエスを埋めたところを掘り返してみると、そこにいなかった。天使が下りてきて、「イエスなら今弟子の前にいる」と言う。これが復活
次にキリスト教の終末論について。さっきのユダヤ教が「世直し」なのに対して、キリスト教はリセットです。現世のルール(金・権力)の一切が無効になって、天すらも作り替えられ、新世界に突入する。それが神の国です。そこでは人々は永遠に生きる、楽しむ。だけど罪深かった人は永遠に焼かれるのだそう。
次に<三位一体説>について。三位一体説とは、父なる神、子なるキリスト、聖霊が本質的な存在としては一体である、ということ。ちょっと何言ってるかわかりませんよね。
なぜこの説が必要だったか。聖霊が必要だったか。それはパウロがキリスト教を創ったからです。パウロはキリストに実際に会っていない、見てもいない、話してもいない。それなのに、そんな人の言葉が聖書に載ってしまっている。これがキリスト教にとっては不都合だったんです。偶像崇拝になってしまうから。だから、キリスト教では、聖霊(≒神の使い)が、パウロに「書かせた」ことになっている。聖霊は神がかりのパワー、そんなもんです。キリスト教の宗教会議=公会議は、聖霊が見ているという設定になっているから、決定力を持つんです。
そしてキリスト教の特徴は、宗教法を持たないことです。例えばカトリックとかプロテスタントとかの派閥はあります。そして正統・異端もあります。だけど、それは聖書の解釈に関する話であって、「普段の生活でこれをしてはいけない」というキリスト教単位のルールが無かった。これが法整備、ひいては近代化に繋がっていきました。(ユダヤ教は律法、イスラーム教はクルアーンがあります)。
まとめ
今回はキリスト教について少し解説していきましたけ。その勉強として読んだのが「ふしぎなキリスト教」だったんですけど、めちゃめちゃおもしろかったです。まず、大澤真幸×橋爪大三郎の対談ってのが熱い。宗教全般、ひいては社会・社会学に興味がある人はぜひ読んでみてほしい。
では今回はここまで。グッドバイ
コメント 感想をください!
ブログ拝見致しました!!
うーん。やはり日本、その他の国の信仰の仕方は違いがあるんですねぇ〜。
こっちもキリスト教について調べてみようかな笑
遅れましたが今年もよろしくお願いします!
あけましておめでとうございます!
キリスト教、西洋の基礎なのだからもっと学ばなきゃな、って思ってます。いずれ聖書とかも直で読みたいな。
すみません、インフルで寝込んでて返信遅れました。ほんなさんも、寒いので体調気をつけてください!