【認知的不協和】を わかりやすく。意思は行動の正当化にすぎない?

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認知的不協和心理学の用語のため、あまり聞きなれないだろう。だが、認知的不協和はあらゆる場面ですでに使われていて、高度に応用可能な現象である。
これを一言で説明するなら、「認識の矛盾による不快感」だろう。人は、矛盾に耐えられなくて、行動に合わせて認識を変えてしまういきものなのだ。

以降わかりやすさを第一に書いていく。

実例を交えてご紹介

認知的不協和とは、アメリカの心理学者、レオン・フェスティンガーの提唱した理論である。

実例から。すでにご周知の通り、朝鮮戦争では、資本主義陣営のアメリカ軍と共産主義陣営の人民義勇軍(中国軍)が戦っていた。このとき、中国側は捕虜にした大量のアメリカ兵を共産主義者に「洗脳」して、アメリカを驚かせた。

彼らは何をしたか。拷問でも、説得でも、買収(ブルジョワ的!!)でもなかった。ただ捕虜に「共産主義にもよいところはある」というメモを書かせて、引き換えにタバコやお菓子を渡していただけだったのだ。

それだけ?と思われるかもしれない。が、実際これが最も効果的な方法なのである。なぜか。

ここで登場するのが、例の「認知的不協和」である。まず、アメリカ兵は資本主義という価値観をもっているが、共産主義も認めてしまう。この2つは対立する価値観であり、そこに矛盾が生じるのだ。見返り欲しさに共産主義を認めた「事実」と、資本主義という自分の「価値観」の対立である。
脳は矛盾に耐えられない。行動と認識にズレがあるときには、強い負荷がかかり、ズレを修正せざるをえなくなる。認識か、事実か。過去の事実というのは何をやっても変えられない。だからこそ認識を変えるしかない。この場合、その認識とは資本主義という信条であり、それを曲げることで、自分のなかの矛盾を克服するのである。

ここで1つポイント。景品として高価なものを与えてはならない。なぜなら、そうすることで心理的な負荷を高めることができるからだ。

もし、「共産主義をたたえたら高い腕時計をプレゼントする」という約束だったら、効果がどれくらいあったのだろう?
おそらく洗脳は失敗だ。なぜなら、彼らは「腕時計という価値の高いものを受け取るために、自分を偽った」という言い訳ができるからだ。あえて見返りを安価なものに設定することで、その言い訳をつぶしているのである。「僕は、タバコ1本のために、資本主義を売った」。こんなとき、事実と認識のズレ(不協和)が最大限発揮される。その結果、洗脳が成功する。(報酬は少ない方がよいことは、実験で確認済みである)。

ご理解いただけただろうか。3文でまとめると、

①自分の価値観と行動が対立し、矛盾に陥る。
②矛盾が気持ちわるいため、行動か認識を統一させられる。
③認識を変化させることで、あとから行動を「正当化」する。

と、いうことになる。さて、この理論、すでに無意識に行われていて、ポジティブな応用も十分に考えられる。(ただし悪用は、ダメ。)

生活のなかの不協和

我々の生活にすでに溶け込んでいる認知的不協和。その例として挙げられるのが「公正世界仮説」だろう。

公正世界仮説とは、「世界は因果応報で成り立っているべきだ」という信条である。よいことをした人には幸せが、わるいことをした人には災いが待っているべき、という考えである。前回記事では、これが乱れたときに生じる弊害について書いた。

例えば、不幸が善人を襲ったとき。個人の信念である公正世界仮説が危うくなってしまうが、不幸という事実を変えることはできない。その結果、認識を変えることで公正世界仮説を保つのである。つまり、「実は”善人”は、偽善者のわるい人だった」という新しい認知に乗り換えるのだ。こうして被害者を攻撃して、公正世界仮説を保つ。これも認知と事実のせめぎ合いと捉えると、認知的不協和のロジックと同じになる。

さっきから、認知的不協和理論の悪いところばっかり述べてきたが、今度はポジティブな発展形を考える。

例えば、勉強。たいていの人は勉強が好きではない。そこで1つ提案させてほしい。

人に聞こえるように、あえて「勉強きもちいい!!!!」と叫ぶのだ。このとき、心は矛盾を抱えることになる。「勉強はつまらないという認識」VS「勉強きもちいいい!」である。きっと、心は不協和に耐えられずに、認知の方を変えてしまう。それすなわち、「勉強はつまらない」の敗北である。
ここで一つポイントなのが、あえて人に聞こえるように言うことだ。これが、洗脳のときの景品の役目を果たす。つまり、あなたは承認欲求という少しの快感と引き換えに、「勉強はつまらない」という認知を”売る”のだ。これが不協和を極限まで高め、賢者に導いてくれるだろう。

……と、どうだろうか。机上の論としては完璧じゃなかろうか。

結論

最後に少しふざけたが、実際、認知的不協和は数々の心理のはたらきに説明をつける、非常に射程の広いコンセプトだ。また、これの指し示す重要な点としては、行動が意志を導く、ということだ。いささか逆説的だが、「意志⇒行動」は正しくない。今回のように行動を合理化するために、意思が後付けされることもある。結局、「意志⇔行動」の双方向の矢印がもっとも正しいのだろう。

これに関連して思い出したのが、息吹というSF短編集中の言葉。「私たちの選択が、私たちを形作る。もし今日よい選択をしたなら、明日もよい選択をできる可能性が大きくなる。」こんな趣旨の言葉だ。僕の記憶のなかの言葉なので不正確ではあるが、僕はこれを読んですごく元気づけられたのを覚えている。意志が行動を導くだけでなく、行動も意志を導くんだという話だった。

さて、今回はこんなところで。心理学のお話でした。
自分の行動を変えたいけど、変えられないとき。筋トレしたいけど続かないとき(僕)。そんなときに応用できそうだよね…

では、グッド・バイ。

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