【動的平衡】分子生物学による、生物と無生物の「境界」

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 どうして私たちは生物を無機物と区別できるのか?

 私たちが、生命の何たるかを無意識において知っているからである。ではいったい、生物を「生きている」と言わしめるものは何か?

 そんな問いに答えてくれる本が「生物と無生物のあいだ」(講談社・福岡伸一著)である。今回はその核心を為す「動的な平衡状態」について軽くまとめておく。

生命の定義

 生命とは何か。生きているとは、どういうことか。

 誰もが一度は考えたことがあるだろう。僕は小学生の時、「よく食べ、よく眠る」ことこそが生物の特徴だと思っていた。動物には当てはまる。しかし、この”定義”はもちろん植物には当てはまらない。いわんや細菌・ウイルスといったミクロな領域に至ってはもっての外だ。

 20世紀生物学の出した一つの結論は、「自己複製する存在であること」だった。どんな植物も動物も(そして菌類も)、DNAを用いて自分の子孫を残す。なるほど、わかりやすい定義だ。

 しかしここで筆者は、とある新しい(そして古い)定義を持ち出す。それは生命は「動的な平衡状態にある」というものだ。この概念は、100年ほど昔の科学者・シェーンハイマーによって提唱されたものである。

 動的平衡とは何か?

 これをわかりやすく示したシェーンハイマーの言葉がある。「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿」なのである。簡潔に言えば「生命とは、変化しながらも、一定のバランスをキープし続けるもの」なのだ。
 簡単な例を挙げよう。私たち人間は数多くの細胞から成っている。しかしその細胞はどれも、一定期間ごとに「入れ替わり」を繰り返している。つまり、新陳代謝だ。
 ところで、一つ質問。もし、人体が新陳代謝を繰り返しているのであれば、数年後(ともすれば数か月後)には僕たちは「完全な別人」になっているのではないだろうか?実際、それは正しい。僕たちは一時たりとも同じではありえない。僕たちのパーツはどんどん更新されていき、体内には何一つとして留まらないのである。畢竟、生命とは「ダイナミックな流れ」なのだ。これが動的平衡の説明だ。

 まだ説明不足でいまいちピンと来ないかもしれない。次に、これを提唱したシェーンハイマーの実験についてだ。彼はマウスの餌を、「重窒素」と呼ばれる窒素の重いやつを使ってマーキングした。そして、マウスの体内で餌がどのように移動したのかを調べた。「餌のほとんどはエネルギーとして使われ、重窒素はマウスの排泄物に多く含まれる」、そう予想された。結果、予想は大きく裏切られる。餌はエネルギーとして使われる以上に、マウス体内のタンパク質に成り代わっていたのである。

 当時の生物学者の予想は、餌の行く末をこのように考えていた。
 餌はマウスの体内を通り抜け、一部がエネルギーとして使われ、残りかすが排出される。彼らは、マウスを、エサの通り抜ける”トンネル”と仮定していた。
 しかし、先の実験結果は異なるモデルを示した。その実、マウスもまた餌によって変化する。マウスは小川の流路・”谷”そのものだ。餌は、流路である”谷”を流れるだけではない。”渓谷”を削り取り、自分自身も”谷”の一部として堆積する、そんな存在なのだ。”谷”は、常に違う存在だ。つぶさに観察すれば、”谷”を構成する石っころは変わり続けるし、”谷”の形もすこしずつ変わり続ける。”谷”と”トンネル”の違いは、ずばり、「変化するか、しないか」だ。生物は、後者。生物とは、変わり続ける”渓谷”である。ご理解いただけただろうか。
(↑説明がまわりくどくてわかりにくかったら、ごめんなさい!)

 ついでに言えば、「餓死」の原因も単なるエネルギー不足ではない。体内の細胞が「流れ」ていることに起因する。細胞が破壊され排出される「出」はあるのに、食事によって細胞を作り出す「入」が存在しないことで、生物が自身の状態を保てない、という要因が大きい。水の流入がない”川”は、すぐに枯れてしまう。いわんや、”谷”など、すぐに更地になるだろう。

 そんなわけで、生命を構成するあらゆる細胞も変化する。貯蔵されると思われがちな脂肪でさえも、実際には細胞の入れ替わりが頻繁に行われている。(脂肪が新しく作られる速度が使われる速度を上回れば、見かけ上は脂肪が「増えた」ことになる)。これが新たな生命観、生命が大きな流れ・現象である、とした「動的平衡」の真相である。

動的平衡のメリット

 ところで、なぜ動的平衡が行われるのか?
 わざわざ新陳代謝を行わずとも、最初からガチガチの細胞を作れば壊れないし、効率も良さげだ。常に部品を壊し、生成することのメリットは何なのだろうか?

 もちろん、正解はない。ただ一つ、筆者が興味深いことを言っていた。「ノックアウトマウス」に関する話だ。曰く、「生命は、部品を壊しても正常でいられる」らしい。

 ノックアウトマウスとは、遺伝子の一部を破壊(ノックアウト)して、一部の組織を機能不全にした状態のマウスだ。一般的に考えると、体内の重要な部品が壊れている生物は、生きれないはずだ。ところが現実はおかしなことになっている。ある機能が欠落したマウスでも、全く健康に生きている。いわゆる「生命の神秘」ってやつかもしれない。

 どうして、特定の部品のないマウスでも正常でいられるのか? コンピューターだったらこうはうまくいくまい。配線の一つでも切断すれば、即・お陀仏、である。機械と生命が違うところは何か?お察しの通り「動的平衡」だ。

 通常僕たちが使う機械は、修理以外で勝手に部品が生まれ変わることがない。したがって、パソコンのメモリーが独り歩きすることがなければ、CPUが新たに増殖することもない。それに対して細胞なんぞは、勝手に動くこともあれば、しまいには殖え始めてしまう始末である。機械部品は「静的 : static」であるが、生命は「動的 : dynamic」である。この差が、すごく大きい。

 話を戻そう。筆者はGP2という膜タンパク質の役割を知ろうとして、それをノックアウトしたマウスを作り出した。けれども、マウスはいたって正常。GP2は欠落していたのにも関わらずに、だ。なぜか?生命の部品が動くから。マウスに備わる他の機能がGP2の異常を察知し、バックアップを行ったのだ。

 この通り、「動的平衡」の利点は、あらゆる状況に対応できる柔軟性にある。そして、もちろんこれは生命が「動的」だからこそ為せる技なのである。

まとめ

 と、いうことでご理解いただけただろうか?生命の本質に迫る「動的平衡」というアイデアに関する話だった。まとめると、①生命は構成物質が変化していく流れ」であり、②動的平衡によって生命は多くの状況に対応できる、ということだった。

 今回の記事は、「生物と無生物のあいだ」を基にしたものだ。生物学の観点から生命を解き明かそうとする本で、非常に興味深い内容だった。生物学の「進化」の歴史もあり、情報源のみならず読み物としての価値も高い。ほかには、例えばウイルスの発見や、DNA解明のスキャンダルだったり、PCRの仕組み、なぜ「原子はそんなに小さいのか」…といったことが書かれている。高校の生物基礎さえ履修済みであれば十分に理解できる、とてもおすすめの本だ。ぜひ一読してみてほしい。

 ここからは完全に僕の余談だ。

 命が変化し続けるもの、と聞くと僕はある歌を思い出す。「花の色は 移りにけりな たれゆえに わが身世にふる ながめせしまに」。花の色が褪せていくのと同じように、自分の身もまた老いていく。そんな状況を歌った短歌で、僕のお気に入りでもある。もしかしたら、昔の歌詠みは、生命の本質を直観していたのかもしれぬ。ほかの句にも、現代の科学と通じるものが多くある。そのつながりを探ると、とてもおもしろい。

 あともう一つ、生物と非生物の境界についての話で思い出すのは、ある教授のお話だ。以前僕が受けた講演会のときのこと。かの方は、生命の起源について話していたのだが、そのなかで生命の定義についてこのように話した。「生物と非生物の違いは、大人と子供の違いと同じだ。」…大人と子供に明確な違いなどない。グラジュエーションのごとく、徐々に変化するものだ。それを、各国で制度を効率化するために、「便宜上」、境界を定める。要は、生物も非生物も根本的には何も異ならない存在であり、僕たちが「勝手に」違いを定義しているだけ、ということだ。てえ事で宣伝。

 さて、そんなこんなで今回はここまで。生物学に興味がある人は「生物と無生物のあいだ」、ぜひ読んでみてね~!

  グッド・バイ

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