(※「虐殺器官」をすでに読了した方は、前半を飛ばしてください!!)

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「虐殺器官」は、間違いなくディストピア小説の最高傑作だ。少なくともわたしの知る限りでは。
だからこそ、人にはあまり薦めたくない。
なぜなら、ディストピアとして完成しすぎているから。これほど世界観に飲み込まれてショックを受けた作品は初めてだった。「虐殺器官」は言うなれば遅効性の毒だ。ただグロテスクでショッキングなだけの作品じゃない。気が沈む。だけど、その後のおもしろさは十分保証する。
しいてもう1つ難点を挙げるならば、文体が内省的なところだろう。このスタイルに慣れてない読者には少し厳しいかもしれない。だから、私はそういう人には漫画版・アニメ版「虐殺器官」をおすすめしたい。私もまだ一部しか見てないが、高い評価を得ていて、原作の情感を残したまま、物語が視覚的に展開される。
あらすじ紹介(未読者向け)
未読者向けに、公式のあらすじを紹介しよう。
「9・11以降の“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……
彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは? 現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション」
このディストピア小説、異常なまでのリアルさが怖い。むしろ私たちの「現実」の方が、偶然的な、嘘なんじゃないかと思うくらいに。このディストピアの社会構造は、単なるフィクションではない。「外部化社会」。まさに今の国際情勢がピタリと当てはまる。(できれば「人新世の資本論」を同時に読んでみてほしい)。
今・ここにいる私たちとパラレルなどうしようもない世界のあり方に、苦い無力さを味わう。癒えない傷をつけるディープなSF小説である。
本題:「虐殺器官」を精神分析する。
***超ネタバレあり!!***
小説を紹介するときに毎度思うが、ネタバレ無しで話すのは制約がキツい(苦笑)。さてここからが本題。「虐殺器官」を精神分析的に眺めてみたい。
なぜ精神分析を使うか?
もちろん読みやすくなるからだ。牽強付会な思い違いだったら申し訳ないが、この本は明確にラカン派精神分析を意識して書かれたように思える。まず、伊藤計劃ほどの知識人がラカンを知らないわけが無い。次にこの本の物語としての構造が精神分析とすごく親和性が大きい。
なぜ、「虐殺器官」には亡くなった母がずっと出てくるのか?ときには夢として、ときには具体的な苦悩として、母は次々とクラヴィスの主観世界に表れる。一見して、母は物語の本筋に関係ないように思えるが、それは間違いだ。関係大アリである。根拠はエピローグ。母の自動伝記の話が、なぜ1番小説で大事なエピローグに置かれているのか。なぜ主人公の最大の決断の直前に描かれるのか。無関係なわけが無い。それは、母が、クラヴィスの心理に直接の影響を及ぼしていて、直接の虐殺の引き金だったからに違いない。
ということで、ここでは精神分析を前提としてクラヴィスの心理を読み解きたい。
①幼少期のクラヴィスの精神構造
クラヴィスの心理構造はどうなっていたのか、まず結論から述べる。
クラヴィスの意味の中心には常に母がいた。つまり、彼は自身の母親を軸として自分の物語をつくっていた。
このことは自動伝記あたりの記述から明らかだろう。彼は母親の視線の先=欲望の対象であろうとして行動していた。軍隊に入ったのも、結局は母の欲望を否定的に反映した結果、母を意識した結果である。(もっと詳しく言うと、彼は「他者の享楽」を生きていた)
一つ、彼の家庭について指摘できる。父がすでに自殺していたことで、彼は母への期待が大きくなりやすかったのではないか。「母が常に自分を見ている」「自分は世界の意味の中心である」という自意識過剰さは、子と母の関係に介在する父の働きの弱さ(=「父の否」の働きの弱さ)によって生まれていたのではないか。この母に対する期待過剰が、クラヴィスの精神の脆弱性となっていたと私は思う。
そして後にクラヴィスは軍隊に入り、国家的イデオロギーを自身の人生の意味付けに加えた。国家・軍隊・言語は、彼にとって外部からもたらされた意味付けの秩序だった。(これが彼の象徴界を作りあげた)
ここまでは、まあ読めばわかる。
心の崩壊① 母の死とルツィアの赦し
次は、彼の心の構造がどう変化していくかについて見ていく。問いは2つ。母の死はクラヴィスに何をもたらしたか、なぜクラヴィスはルツィアに執着したのか、についてだ。
まずは母について。
「虐殺器官」において、母はすでに死んでる。クラヴィスが、延命を止めることで「殺した」のだ。彼はこの罪の意識に苛まれていた。
彼はここで深刻な意味の喪失に悩まされた。理由は、さっき述べたから十分だろう。普通ならばここで、究極的な意味を諦めることや意味の中心を他の対象にすり替えることで意味喪失からは解放される。実際、彼もそうした。母を殺したという意識を抱えつつも、軍人としての仕事に打ち込むことや、母への罪を赦してくれたルツィアに対象をすり替えることによって一時的に解決した。
ここでルツィアとの繋がりが見えてくる。
母亡き後、クラヴィスがルツィアに固執したのはなぜか?「ルツィアなら世界の意味の不在を母の代わりに埋めてくれる」という幻想を彼がルツィアに抱いたからだ。(ルツィアは、”対象aのシニフィアン”として機能した)。つまり母の幻想は持続していて彼女への固着はその延長線上だった。そして彼はルツィアへの執着をますます加速させる。軍の命令から逸脱しても、彼の欲望は止められなかった。
心の崩壊② 言語の不信とルツィア
その最中、彼はジョン・ポールと対面する。彼は自分が、ジョン・ポールの「正しさ」に論理的に勝てないことを悟る。そして虐殺文法の存在を知り、言語こそが虐殺の道具であると知り、言葉に対する不信を募らせる。
言葉とは、他者の世界だ。生まれた時から投げ込まれる、つねにすでに主体に先行して存在している社会の、共通了解だ。共同幻想だ。外部の意味秩序という点で、言葉に対する不信と、国家・軍に対する不信は通底するところがある。国家という他者の命令・他者の価値観に対して、その正しさの根拠が揺らいだ。自身の受けていたカウンセリングと、虐殺の文法の仕組みが同じだったことも影響しているだろう。ジョン・ポールの言語による虐殺と、国家の命令による任務は、同型だ。
そうしてクラヴィスは結局、意味に対する信頼を失っていった。その代わりに、ルツィアに対する執着をますます募らせた。
ルツィアの赦しを得たことは、クラヴィスが主体的に母を殺したことを認めたということになる。他者の命令ではない。……結局、彼は国家の代わりにルツィアを価値の根本に置くようになっただけで、本当の意味で他者の享楽から逃れられてはいないのだ。
彼の心は危ういバランスだった。
そしてここで事件が起きた。ルツィアが彼の同僚に殺されたのだ。
このことは彼に2つの衝撃をもたらした。1つ目は欲望の対象の喪失だ。2つ目が「世界の意味」(国家・他者・法・イデオロギーetc)に対する完全な不信である。なぜならルツィアを殺したのは、まさに彼の所属する軍だったのだから。
それに次いで、自動伝記がクラヴィスに母の決定的不在を突きつけたことで、最後の引き金が引かれた。母のまなざしの不在として、彼は自分の物語は間違いだったということを”現実”的に知ってしまった。
かつて「意味」を信じていたクラヴィスに、その落差はあまりに大きかった。そしてクラヴィスは破滅へ向かう。虐殺文法が放たれる
ジョン・ポールとの対比・大虐殺の意味
ジョン・ポールの虐殺は目的のための手段だった。一方、欲望を失ったクラヴィスの虐殺はもはや目的でも手段でも無い。主人公はもはや狂人だ。おそらく、神経症だろう。言語は使えるが、正常に欲望を定位できなくなった状態。ジョン・ポールは正気で惨劇を見つめていた。クラヴィスは狂気だ。
ジョン・ポールは言った。「虐殺のコードは英語圏で発動されない限りは安全である」。彼の「最後の決断」は、ジョン・ポールの暴力とは質的に異なり、人類最悪の災厄となるのだろう。
彼の玄関先の死体。これはそのことを示すシンボルである。
まとめ
彼の崩壊の様子を時系列で端的にまとめた。
母の物理的死▶ルツィアの赦し/虐殺文法・言語・任務・イデオロギーに対する不信▶ルツィアの死▶イデオロギーに対する信頼の崩壊▶自動伝記による最終的な意味の崩壊
最近は伊藤計劃にハマってしまった。忙しくてなかなか書けないが、いくつか本を読んではいるので、いずれ大量に読書レビューを投稿したい。重い話だったので、最後にかわいい猫の写真を置いとこう。じゃあ、またね


コメント 感想をください!
「虐殺器官」!めちゃくちゃ気になってた本だ!!
ラカン派の精神分析も多分関わってるなんて、ますます気になる!!!今日近くで古本市やってるから買ってみようかな笑
「虐殺器官」は超オススメです!最近伊藤計劃さんにハマってます。凄いのは、彼、これを病床の10日間で書き上げたんですよ。読んでみれば分かるんですけど、ディティールまで凝っていて、まるで隙がない。本当に小説の方が現実なんじゃないかと思えるくらいに……
でも私としては漫画の方もおすすめしてます。もちろん小説もいいんですけど。内省的・思索的な文体なので、もしかしたら途中で読むのが億劫になっちゃうかも……。取り越し苦労だったらごめんなさい
「虐殺器官」「ハーモニー」は絶対に読むべきですよ!!