さて、今回は教養として知っておくべきことについてだ。
今回は池上彰さんの著した「おとなの教養」を読んだので、その内容に触れていこうと思う。
この本は文章が超・わかりやすくて、おもしろかったのでおすすめ!
ぜひぜひ1度は読んでみていただきたい。(記事の最後にリンク貼ってます!)
ということで、本題。知っておくべき教養について。
さっきの本「おとなの教養」では①宗教②宇宙③人類の旅路④人間と病気⑤経済学⑥歴史⑦日本と日本人、の7つの項目が挙げられていた。そのなかで私にとって特に新しくておもしろいと思ったものを記事にしていこう。
余談なのだけど、「なんで教養が必要なのか?」についてのアンサーで、「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる。だからこそ自分の芯となる教養が必要だ。」っていうのに個人的にすごく共感した。私にも「すぐに役に立つ知識」を求めてしまう側面があるな、と少し反省。
そして一つ大事なことが。この7項目には人類にとってなじみのある、ある一貫した問いが関係している。それが何かを考えながら読んでいただければと思う。
じゃあ前置きはこんくらいで。 れっつ、すたーと!
①宗教
日本人って基本的に自分が「無宗教」って思っている人が多いからなかなか理解の少ない分野ではあると思うんだけれども。
・宗教の成り立ちについて
熱帯であるインドなんかでは「輪廻転生」の考えが生まれた。これは熱帯故に生き物が暑さで多く死に、さらに多くの生命が生まれるというところから来ているのではないか。
同様にして宗教というものは偉大な、(それこそ人間の手の届かない)存在・自然現象への昔の人々の答えなのだろう。
以前YouTubeかなんかで「イスラーム教で豚肉を食べるのを禁止しているのは、豚を育てるのに必要な資源の浪費を防ぐためであり、同様に酒を禁止しているのは水の消費を防ぐため」というので納得したのを思い出した。
各地の自然環境にあった宗教が生み出される。あるいは逆に、進化論的なロジックで、現在まで続いている宗教は、自然環境に適応していた教えがあったからこそ選択され、宗教は自然と調和した教えと言えるのかもしれない。
・ユダヤ教とキリスト教とイスラーム教は実は同じ神を信仰している
ユダヤ教では「ヤハウェ」、イスラーム教では「アッラー」とおそらく皆さんは習ったことでしょう。ただ実はこの神様は全て同じ存在を指していて、名前自体も固有名詞ではない。これらの名前は英語でいうところの「ゴッド」、すなわち(唯一絶対の)神という意味をもつ言葉というだけであり、「アッラー」はアラビア語、「ヤハウェ」はヘブライ語である。
そしてこれは宗教の内容にも関係している。神様は人に啓示を与えることで教えを伝えてきたが、最初にそれをしたのがユダヤ教でのモーゼの「十戒」。ただ、これがうまく守られなかったがためもう一度神様が人々に教えを授けるために遣わしたのが「イエス・キリスト」である。同様にして、さらにそのキリストを通してもなおうまく教えが伝わらなかったがために神様が最後にムハンマドに天啓を授けた、となってるわけだ。
宗教ごとに解釈は変わるが、イスラーム教曰はくユダヤ教⇒キリスト教⇒イスラーム教 という感じで神は教えを授けたのである。だからユダヤ教の聖書は(キリスト教の人から)「旧約」聖書、イコール古い約束と呼ばれるのだ。
結構個人的には一番の衝撃。宗教対立とか知ってたから、全部違う神様なのかと思い込んでいた(笑)。
私の考えだと、私たちは自分の手の届かない存在が恐い、だから因果関係をつけて説明するための宗教なのだと思ってる。
いずれにせよ宗教を軽蔑する風潮に乗っかるのではなく、その背景を見つめるのがまた有意義になってくるはず!
②宇宙
・科学と宗教の関係について
よく科学と宗教は相いれないものだと考えられがちだ。なぜなら科学は普遍の世界の法則だから。中世の地動説を唱えた学者が宗教裁判にかけられていたというのは周知の事実だろう。
しかし科学と宗教は決して対立しているわけじゃない。オウム真理教に多くの「天才」達が入信したのはなぜか。それは宇宙の誕生から現在の人類に至るまで、そこには偶然の事象があっただけで何の意味も見いだせないから、宗教を通して意味や説明を求めるのである。
そもそも科学も宗教も世界の仕組みの解明をいう点では一致しているから、ある程度の親和性は保証されている。
うーん、興味深い。どちらも世界の説明ということでは一致しているもんな。
次は宇宙の成り立ちについて。
・宇宙の誕生について
最初に無の状態からエネルギーが発生し(いわゆる「真空のエネルギー」)、インフレーションという膨張がおき、そのすぐ後にビッグバンが発生して大膨張した。このとき、超高密度、高温の「火の玉宇宙」だったのですが、その状態ではまだ質量が存在しないため物体が形成されることがない。そこで「ヒッグス粒子」なる粒子に質量を与える存在が必要になり、つい最近その存在が証明されたとのこと。
宇宙はいまだに未解明のことが多い(ダークマターとか)。だからこそ挑戦のしがいがあるのかも。
宇宙や科学に関する本では「E=mc^2のからくり」という本が今までの科学史をわっかりやすく教えてくれたのでおすすめ。
ただ宇宙について考えると、いわゆるニヒリズム・虚無主義にとらわれて、自分たちの生きる意味なんてないんじゃないか、って悲観的になりがちだからそこだけは気をつけんとな。
③人類の旅路
・人類はアフリカから始まった
アフリカ東部には大地溝帯という大きな溝が存在します。はるか昔、ここからマグマが噴き出すことで山脈が形成されました。これにより西側では雨がふり、もう一方の東側には雨が降りにくくなり、今まで通りのサルが生存に不利になり、環境に適応しやすく進化が繰り返された結果ホモサピエンスが誕生した、という説(イーストサイドストーリー)があります。
そこからさらに中東まで移動し、ヨーロッパに行くルートとさらに東を目指すグループに分かれた。そして多くの土地に定住したらしい。
人類の起源は一つだった。←ここ大事。
ちなみにアフリカから移動して中東に言ったグループはネアンデルタール人の血が少し入っているのだとか。
・なぜ人種で肌の色が違うのか
日差しが強い地域では、肌を紫外線から守るメラニン色素の強い遺伝子割合が高く、逆に日差しが弱くなると、メラニン色素が、紫外線からビタミンDの生成を阻害しすぎて、生存に不利になる。その結果アフリカ等の赤道付近の地域では黒人が多く、アジアなど中緯度地域では黄色人種、ヨーロッパなどでは白人が多いのだ。
ここら辺の内容はちょうど「サピエンス全史」って本にも書かれていたので気になる方はぜひそちらも。
④人間と病気
・細菌は生物、ウイルスは生物じゃない
細菌は細胞の中に核と呼ばれる構造を持っており、自らエネルギーをつくりだして分裂していける。
一方ウイルスは核がなく、さらにほかの生き物の栄養によってのみ分裂できる。生物と非生物の中間という非常に微妙な位置づけなのだ。
だから抗生物質はウイルスには効かない。なぜなら抗生物質は菌のなかの細胞璧というものを壊して菌を殺すが、ウイルスは非生物で細胞壁をもたないからだ。(ちなみに動物の細胞は細胞壁をもたないため無傷)
じゃあなんで抗生物質が処方されるかと言えば、それは免疫力が弱くなって他の細菌由来の病気にかかるのを抑制するためである。
ウイルスって言葉はよく耳にするんだけど、実はかなり特殊な存在なんだなと改めて思ったな。
あと抗生物質が細胞壁を壊すってのは初めて知った。
・病気が人間の社会を変えてきた
中世ヨーロッパではペストという病気が流行して、実にヨーロッパ全体の1/3もの人が亡くなった。これにより農民が少なくなり労働力の減少を招いたため、農民の声が大きくなり農奴解放につながった。
そしてそののちピューリタンというキリスト教プロテスタントの一派がアメリカ大陸に移住したが、このときに彼らは多くの菌を新大陸に持ち運んでしまったため、現地の先住民がどんどん死んでしまった。しかし彼らピューリタンはこれを「神が我々に土地を与えてくれた」と誤解したのだ。
さらに第一次世界大戦時にスペイン風邪が流行した。最初はアメリカで発見されたから本来は「アメリカ風邪」なのだが、当時アメリカやその他欧米諸国は戦争中だったため、病気が大流行しているなんてことは極秘だった。しかし中立国のスペインはその感染症の存在を公にしたため「スペイン風邪」と呼ばれるに至った。そしてこのスペイン風邪があまりに大流行したため各国は戦争の継続不能に陥り、第一次大戦は終結に至ったのだ。
病気、疫病というものは人類の歴史にも大きくかかわっている。それは現状のパワーバランスを変えてしまう強い力を持つからこそ、人間社会も新しい時代に突入することがある。
以前、過去の歴史から格差を是正する4つの成因があると聞いたことがある。「疫病・戦争・崩壊・革命」がそれまでの社会をぶっ壊して平等の状態に近づける。平和裏には平等は達成されない、という結構衝撃的な内容だった。病はやはり人類史に大きくかかわっているといえよう。
⑤経済学
この本では経済学で社会を変革した4人を紹介していた。いずれも非常に興味深く、初めてその流れを知ったので多めの分量を割いて載せておく。
①アダム・スミス
彼は古典派経済学と言われる理論を構築した。近代経済学の父とも呼ばれており、各人が儲けるために分業をすることで経済が成り立っていると考えた。そして市場は常にものの価格を需要と供給のバランスの良いところへと調整していく働き(彼はこれを「見えざる手」と表現した)があるとして、市場の自動調整機能に任せる自由放任主義を推奨したのだ。
②カール・マルクス
彼は社会主義者として有名だが、かの有名な「資本論」においては資本主義の分析に力を注いでいた。この論では労働者と資本家が対等に取引をしていると仮定して論を進めている。このとき資本家はどのようにして資本から利潤を得るのか。
実は資本それ自体、つまり土地や工業設備それ自体からは利益は生じない。労働力を経ることで初めて利益が生み出される。そのため資本家は労働者から労働力を買っている。このとき労働力の値段はその労働力を再生産するのに必要な額、すなわちその人を継続して働かせられる金額になる。そして資本家はこのコストを最小に抑えて自分の利益を得ようとするのだ、と分析した。そして弁証法を用いて、歴史は資本主義社会を終わらせる方向へと進んでいくだろうと予言したのが彼である。(しかし共産主義社会を細かく想像はしていなかったため、共産主義は崩壊した)
③ジョン・メイナード・ケインズ
マルクスに対して、資本主義も適切に制御すればうまくややっていけることを示したのがケインズである。マルクスは不況のときに労働者は悲惨な目に合う、とした。これは労働力の需要と供給が合わなくなるためで、当時の経済政策としては年度ごとに赤字をださない「経済均衡政策」が主流だった。
しかしケインズはこれに異議を唱えて、不況の時は政府は赤字になっても構わないとした。赤字でも国際を発行するなりして、公共事業を起こす。そうすればそのお金は何倍もの消費になって帰ってくる「乗数効果」が発生するとした(この考えはニューディール政策にも繫がる)。例えば100億を鉄鉱石の生産の公共事業に使ったら、そのうちの80億が鉄鋼の生産という消費を生み出し、鉄鋼からさらに機械の製造にまた数十億円の消費が生まれる…と彼は考えた。
さらにお金持ちのところには不況時にもお金が滞留するため、そこから多く取る累進課税も考え出した。
④フリードマン
新経済自由主義を唱えてシカゴ学派と呼ばれる多くの弟子を育てた人。彼は政府の制限がない方が経済がうまくいくとした。なぜなら物事は多くの事業は「質」に応じて需要が生じ、質の悪いサービスなどは市場原理で勝手に淘汰されるとした。そして政府の制限がなくなることで、このように分離され、質の良いものだけが残る、と。しかし新自由主義は格差を広げた、という側面もあります。新自由主義は企業の競争原理に基づいているため、勝ち組と負け組に分かれさせ、勝ち組だけが生き残るという「勝ち組の論理」でもあるからだ。
私は以前、「資本論入門」という書を読んだことがあるが、とってもおもしろかった。
だからマルクス、アダムスミスあたりは少し知っていたのだが、ケインズやシカゴ学派などについては今回初めてその中身を知った。
経済学にすこし興味があったので今度はぜひそういう本も読んでみたい。
⑥歴史
歴史は勝者が残すもの、というのは周知の事実だろう。
だから歴史は後から権力によって大きく書き換えられることがある。例えば中国や北朝鮮や韓国では自らの政治的正当性を主張するために、日本の過去の戦争での残虐行為を誇張して伝え、それを非難することで国民性を形作ってきたという側面がある。
過去の歴史観においては、ヘーゲルの弁証法のように、歴史は絶えず良い方へと向かっているとする考えがあった。しかし今、そのような統一的な方法、「進歩史観」で歴史を見るのは困難になっている。
一部の歴史は、ある少しの事実だけに基づいた偏ったものだったり、世界全体を見渡していない「ローカル」な歴史のみしかやらない、といったような事例も存在している。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」歴史は私たちのゆくべき道を示しているのだ。
わりと包括的・抽象的・一般的な論になってしまったのは申し訳ないっす。
⑦日本と日本人
国というのは外部との接触により、その差異から内側という意識が生まれて形成される。
だから「日本」という概念も、開国後、明治初期の国籍を定めるときになって初めて制度上生まれたのだ。そしてよく(私も含めて)間違えがちなのだが、時代を貫くアイデンティティというものはない。日本という国は多くの民族の混合でもある。だから大和民族なんてものは政治的宣伝のもとのただの後付けに過ぎない。そして国家意識というものは政治的下地や教育のもとにうまれている。その例としてイランイラク戦争では、イラク人はイスラーム教シーア派ではなく、一人の「イラク人」として戦っていた。
健全な愛国心というのは自発的に生まれる郷土愛のようなものだろう。
メイドインジャパンは戦前はいわゆる「安かろう、悪かろう」の製品だったが、戦後の高度経済成長を経て、今では超・高品質を指す語に変容した。このような日本のイメージは先人の努力のうえに成り立っている。
また自国というのは他国との関係から初めて生じ、過去にさかのぼるほどあやふやになっていくものだ。他国があることで日本という存在が見えてきていることを忘れてはならない。
国が外部との差異で規定されるというのは、現代の国語の授業でとり扱ったソシュール言語学の文章を彷彿とさせる。
私がこの章で何気に「日本」の呼び方が二ホンとニッポンのどちらでもいいというのを初めて知った(笑)。いつも気にしていなかったが、海外のような統一的な国名の読みからしたら結構特殊なのかも。
ちなみに私からの豆知識として、日本人は最も「日本人」というイメージを気にする人々らしい。だから日本は良いというイメージを忠実に再現して守ろうとする。これは日本人の強い結束感、ムラ意識から来ているのかもねー。
総括
ということで、いかがだったでしょうか。
最初の問いかけ、「なにがこの7項目に一貫している問いか」の答えは…
ー「私たちはどこからきて、どこへ行くのか?」
人類の起源から現代社会についてまで、人類の軌跡とこれからを知るうえで今回の7項目は役に立つでしょう。
教養≒リベラル・アーツは古代の基本とされてきた学問だが、それの現代版が今回紹介させていただいた教養ということになる。リベラル・アーツはすなわち、liberal=自由とarts=技術、学問、芸術である。これは「人を自由にする学問」という意味だ。私たちは即戦力の技術ではなく、教養を学ぶことで長いスパンを通じて役に立つものを得て、不自由なものの見方から解放されるのかもしれない。
今回紹介しきれなかったことも多くあり、残念だが、ぜひこの記事が参考になったなら、ご自身で読んでいただきたい。確実に新しい知見が得られることは保証済みだ。
いつもこんな感じで読んだ本の要約や、豆知識、私なりの考え、我らが日比谷高校(?)についても発信しているのでぜひ他のも読んでいただきたい。
そんじゃ、よい一日を。
コメント 感想をください!
面白いブログの内容ですね
私は、歴史と宗教に興味を特に持っている者です。
「ユダヤ教とキリスト教とイスラーム教は実は同じ神を信仰している」
コレに関するものですが、日本には、猿田彦という神様がいます。実は、この猿田彦とイエス・キリストが同神だと言われています。
遊ろぐさんは、実はキリストは日本にやって来ていたという都市伝説は知っていますか?
磔刑を免れたイエスは双子の弟とともに日本に逃れてきました。最後は青森に住み、二人の墓もあります。(竹内文書では、日本には弟の墓だけがあり、キリストはさらに日本を出て旅を続けたそうです。)
イエスが日本に来た時、ユダヤ人の赤ら顔で鼻が高く、髪は伸ばし放題で、猿のような顔に見えたそうです。
キリストは、どこからか日本にやってきて、五十鈴川伊勢市近くに住み、五十鈴毘古(いすずひこ)と呼ばれていました。イエズスと似ています。川でユダヤ教の儀式もしていたそうです。
猿田彦が故郷にウズメと帰りましたが、そこは五十鈴川の上流でした。
イエスは航海術を持っていました。漁師でしたから。そのために、伊勢の港湾関係の仕事につき、伊勢津彦(いせつひこ)とも呼ばれていました。
また、猿田彦は天狗の始祖と呼ばれていますが、天狗の容貌が白人でないユダヤ人と似ているほかに、衣装がユダヤの伝統衣装にそっくりだ!と言われています。(実際、そっくり)
また、伊勢神宮や元伊勢の籠(この)神社にダビデの星と言われている、六芒星(籠目門紋)が使われています。
不思議ですよねぇ…。
初耳!おもしろい!
イエスキリストが日本に来てた、なんて説は初めて聞きました。本当にそうだったのかは知らないけど、夢がある。
もし来たとしたら、どうやって日本まで来たんだろう?
また、キリスト教に関するものですが、
私は、遠藤周作の「沈黙」という小説が大好きです。
江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた名作です。
神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかけてきます。
遠藤周作氏の作品は
「純日本人心性・感覚の持ち主である自分にとってキリスト教は『肌に合わない・異物感がある』ので、何度もキリスト教を棄てようと思ったが、母親や親戚が自分に良かれと思って与えてくれたキリスト教信仰をどうしても捨てられない」
という遠藤周作氏の一生の問題・葛藤が根本にある。
面白いのが、遠藤周作はキリスト教徒だけど、自信のエッセイで神について書いています。
「本当は信じるものが神でも鯖でも何でも良いんだけど」だそうです笑
また、遠藤周作のイエス像は
強制収容のガス室に送られるときでも側にいて最後の時が来るまで慰め泣いてくれる者だと何冊かの小説に描かれています。
是非、読んでみて損は無いと思います!
「沈黙」ですか。神と信仰ねえ。
「何度も棄てようと思った」、「神でも錆でもいい」、随分と思い切りのいいことを言いますね笑。
あまり宗教関連の小説を読んでこなかったので、読んでみます!(無意識に避けてきた節もある。たとえば、「パンセ」を読んだことがあるんですけど、宗教色が強すぎて最後まで読み切れなくって…それから、ちょっと苦手です)
ありがとうございます!