山椒魚は悲しんだ。
この一文から始まる『山椒魚』は、成長して岩屋から出られなくなった山椒魚の悲劇をユーモラスに描いた作品だ。
2年間、岩屋のなかでぬくぬくと育った山椒魚は、自分がそこに閉じ込められたことを知る。脱出をこころみるも無駄。結果、山椒魚は下界の蛙を閉じ込めてしまう。蛙と口論を続けるが、2年後に死の直前の蛙と和解して、物語は終わる。
山椒魚の不幸はいったいなんだったのか?
山椒魚は途中途中で他者を蔑む。集団で群れて動くメダカには、「なんと不自由千万なやつらなんであろう!」、小エビには「屈託したり物思いにふけったりするやつは、莫迦だよ。」と言う。山椒魚の心は、孤独と不自由でねじれてしまっているのだ。つまりは、プライドが高い。
『ああ、寒いほどひとりぼっちだ!』
しかし実際は、これが本音なのだ。
そして僕たちは『山椒魚』の世界を間近に観察することができる。頭でっかちで、「岩屋」から出られなくなった不自由な人。その孤独さゆえに、他人を巻き添えにしてしまう人。蛙との和解のきっかけは、蛙の嘆息だった。本当は「山椒魚」の人々は共感を求めているだけなのかもしれない。
僕はこうした山椒魚の心の動きに、すごく親しみを感じた。
山椒魚は頭でっかちになったが故に「監獄」に閉じ込められてしまった。ではその「監獄」とは何か?肥大化した頭である。山椒魚のセリフが漢語調だったり、ほかの生物を蔑んでいたりするのは、人よりも優れている頭を持つことの自負だ。自分の思想を誇りに思っているが、誰にも理解されず燻っている欲求不満こそが、山椒魚の不幸の根源なのである。そして外の自由な世界を見てかえって、意固地になってしまう。岩屋に来た蛙と友達になることもできただろうに!
頭のいい人というのは、案外、不自由でさみしい生き物なのかもしれない。
コメント 感想をください!
「山椒魚」、高校で習いましたねぇ
懐かしいなぁ…
高校生活最後のビブリオバトルで、選んだ本が
コレでした。
個人的に、この本は、ドストエフスキーの
「地下室の手記」に似ている部分があり、
そこがずっと気になってます。
(多分、最終的にどっちも無為自閉へ至るところが似てるからかな?)
次回も楽しみにしています
長文失礼しました。
「山椒魚」は、硬めの言葉が非常にユーモラスで、でも妙に寂しさが響いていいですよね。
自分の頭がつっかえて岩屋にとじこめられてしまった山椒魚。プライドが高すぎて、ほんとうは人と仲良くしたいのに仲良くできない。そう捉えてみると結構おもしろいなって思って読んでたんですが、これ、めちゃくちゃ僕の状態に近いなって思って(笑)。そしたらかなり親近感がわいてきたので記事にしました。
僕はやっぱり、「ああ、寒いほど一人ぼっちだ!」の言葉が好きです。なんかすこしわかる気がする。
ドストエフスキーの「地下室の手記」、読みたい!と思うんですけど、なかなか手が出せなくって。今度読んでみます!ありがとうございます!
(本当は「白痴」とかも読みたいんですけど、学校もあって時間が取れない…泣)
自分の状態に近いなって親近感がわくの、
よく分かります!笑
繊細さとちっぽけなプライドが両立してるんですよね。ネット用語で言うと、「繊細ヤクザ」っていうか…。
コミュニティに所属すると自分が相対化されて
しょうもない自分が見えてしまうから、嫌なんですよね…まぁ、虚構のプライドを捨てるとこから
人生は始まるんでしょうね…。
コミュニティでしょうもない自分が見えてしまう、ってのはめちゃめちゃ共感します。
僕は普通の区立中に通ってて、中学までは不真面目だけど勉強ができる人、と思われてました。有頂天だったんです、狭いコミュニティで。でも高校に入って、もっと優秀な人といるうちに、そんな自分のちっさいアイデンティティが崩れてしまって、ちょっと迷走しちゃって。しょうもないなぁ、と思いました。ほかの人よりできが悪いと、ああ何でこうなんだろうって。
人と比べるなって言われても、まあ無理ですよね。だって大学受験だって、就活だって能力の比較なんですし。ただ、僕は今の環境にすごく感謝しています。多分、あの中学のような環境のままだったら、そのまま調子に乗ったままだったろうから。
この場合、僕は山椒魚じゃなくて、井戸のなかの、頭でっかちなただの蛙でした(笑)。
自分に閉じこもることもすごく大事なことだと思います。大衆に流されて、プライドどころか頭すら無い、「臆断の虜囚」になるのは良いことじゃない。でも、そのうち頭がつっかえてしまわないように、外とのつながりは持っていたいものです。
「自分は他の奴らとは違う。俺はできる」って全能感と、「所詮自分はカーストの下位」って自己否定がどっちも強くありますね。
大学生になったものの、それはまだ完治してないです笑
特別性など無いことに気付いていて、それでも特別だと振る舞わないと自分を保っていられません…
「俺」と書きましたが、
私は女性です…。
うまく自分の内面を言語化できないところもあるので、コピペすることがあります…。
でも、基本的に自分で言語化するようにしています…。
次回も楽しみにしてます
僕に言えることなどないのはわかってるんですが、全能感と自己否定ですか…。大変ですね。いつか解決できることを願ってます。
内面の言語化は誰にだって難しいものです。むしろ自分で言語化しようとしてるのがすごい!
僕は「どっかで聞いたことがあるような」ってものを書いてるだけだから、こんな滔々と書けるのであって。
「私たちは、他人の言葉を使って話している。」と、どこかの哲学者が言ったそうな。
……これじゃ、引用の引用ですね(笑)
コメントをありがとう