中学生のときに「社会契約説」って習いますよね。
私は定期試験対策で丸暗記した思い出があります(笑)
意外と知られていないその内容、結構おもしろいので、詳しくわかりやすく紹介していきたいと思います!!
社会契約説をさらっと紹介。
まず社会契約説を一言で説明すると、「人々の合意(契約)のもとで国家ができた、とする説」です。
つまり、あるとき皆が集まって「国を作ろう」と約束したことで国ができたという考え。
これだけ聞くと「なんだ当然じゃん」とガッカリするかもしれませんが、実はこの理論はかなり深く歴史が関わっていて、これにより近代国家が成立した革新的な理論なんです!
実際、この理論のおかげで「人々の意思に反対する政治は、国家の基礎である”皆の合意”を破っているためおかしい。よって国民は新しい政治を築く権利がある」という考えが生まれ、フランス革命やイギリス革命に進展し、議会制の政治が行われることとなったのです。
また社会契約説といっても、思想家ごとにいくつかバリエーションがあります。
…ということで時系列を追って紹介していきます!!
なぜ社会契約説は生まれたのか?
16世紀頃、ヨーロッパ。
この時代は国王の独裁的な政治により多くの国民が高い税金などで苦しんでいました。それを端的に示す絵が、教科書でもよく見るこちらの絵。
当時のフランスのアンシャン・レジーム(Ancien régime)という身分制度のもとで王や貴族などの支配で苦しむ人の様子が描かれています。
ではなぜ、このような支配体制は崩れなかったのでしょうか?
答えは、王の権力は神から授かったもののため王による国の支配は正しいとする「王権神授説」こそが正しいと認められていたからです。国王は理論上正しいと認められていることをしているのだから、誰も体制に文句を言えなかった。
しかしここでホッブズという人がこの説に対抗するため、社会契約説という国家の成立に関する新しいモデルを提唱しました。これにより国王の支配は不当だとされて、旧体制は崩れていったのです…
以下、ホッブズ、ロック、ルソーという社会契約説における有名人3人の考え方を説明します。
①ホッブズの社会契約説
この説の祖・ホッブズは「リヴァイアサン」という本で国家の成立を次のように説明しています。
そもそも人類が誕生したばかりの頃、国家は存在しなかった。
しかしその社会だと当然、統治や治安維持をする者がいないため暴力が絶えなかった。
そこで人々は暴力の連鎖を断ち切るために集団で「暴力や私的制裁(=勝手に他人の罪を裁くこと)を禁止」する合意をした。
そして個人による暴力を禁止する代わりに、合意をした人々の力で強力な国家を作り、そこで制裁を加えるように取り決めた。
これが国家の成り立ちであり、その社会の根底には人民の意思がなければならない。
↑これがホッブズの考えであり、社会契約説すべての基本となっています。
また、彼は続いてこのようにも述べています。
政府が存在せず常に暴力おびえる状態よりは、たとえ民意にそぐわなかったとしても政府のある状態の方が絶対的に良い。
例えば、支配者がある宗教を禁止したとしよう。しかしそんなときであっても、国家のない状態よりはマシであるから黙って受け入れなければならない。だからほかの宗教の信者でのフリをすればいいのだ。
…なんか引っ掛かりませんか?
そもそも国王の支配に反対するための説なのに、政府の指示には絶対従わなければならないとする姿勢は、独裁を許容しているとも受け取れます。
どうしてこんなことになったかというと、彼は国家の成立の際に皆が全ての権利を国家に預ける、と考えたからです。だから独裁が起きても国民に歯向かう権利はない。
それじゃダメなんじゃないかということでルソーの考えに移ります。
②ロックの社会契約説
ロックの社会契約説をわかりやすく書きます。
国家の成立は人々が自分の所有権(自分のものが自分のものである権利)を守るために契約をして生まれたものだ。そのため所有権が政治の前提であり、その権利を侵害する政治は排除されなければならない。
ホッブズのときとは違って、権利を全て国家に譲渡せず、国家に歯向かう権利もあります。(抵抗権)なんかホッブズのときより良くなった気がしますね。
実際にロックの社会契約説はイギリスにおける名誉革命を正当化する根拠となりました。
しかしこのときある一つの疑問が浮かんできます。
「権利と政府のどちらが先に生まれるのか」という問いです。
そもそも権利というのは、法律で”~権”という形で定められて初めて権利になるのであって、それ以前の政府のない状態では権利なんて存在しないんじゃないか?
だとしたら、この説は論理的に間違っているのではないか?
…う~ん、難しいですね。
まあなんとなくロックの社会契約説も理解してもらえたんじゃないか、ってコトで次に移ります。
③ルソーの社会契約説
最後にルソーです。ルソーの考えは少し特異です。
まず人民には”全体意志”と”一般意志”が存在する。そして政治の主権(=政治が従うものは)一般意志に他ならない。この一般意志というものは皆の意見の相違を差し引いたもの、すなわち皆の意見の共通部分にほかならない。また政治はこれに沿って行われるため、国民が正しいと思うことを実行するのだから理論的に間違うことがない。
一般意志という新しい概念が入ってきたため、いきなり難しくなりましたね。後で解説します。
彼の説で面白いのは政府は国民の共通意見である一般意志を代行するだけなのだから、このプロセスが正しく実行されるなら政治を実際に行うのは、議会であっても1人の国王であっても構わない、としています。
そしてこの形にすることで、ホッブズのような政府の統治は自然状態よりはマシだから皆革命する権利は持たない、という状態のアンチテーゼとなることができます。どういうことかというと、この場合、政府は一般意志に従う「駒」なので、もしそれを破ることがあればその「駒」を代用すればいい、という発想に行き着くわけです。だから一般意志に従う存在(政府)に歯向かってもよい、ということ。
(図にすると多分こんな感じ。)
この考えのいいところは政府が一般意志を正しく代行していなかったら国民は自由に政府をさせることができる点です。なぜなら政府は一般意志に従わなければいけないから。
ところでこの一般意志という言葉、民意とは少し意味合いが違っています。彼の理論では、民意≒全体意志であり、また別のものです。じゃあどう違うのかというと、全体意志がそれぞれの思う意見を単純に足し合わせたものに過ぎないのに対して、一般意志は各意見のなかの共通する部分を取り出したものです。(…のはず)
1つ例を挙げると、授業中のスマホの使用を許可するべきか?という問いに対して大きく2つに答えが分かれると思います。①授業の邪魔になるから禁止すべきだ。②授業中に調べものをしたいと時もあるので許可すべきだ。
このとき、全体意志すなわち民意とはこの意見で多数決をとったもの、一般意志は「授業は熱心に受けるべきだ」という共通する考えです。
(一般意志について間違ってたらごめんなさい)
まとめ
ということで、社会契約説について理解できましたか?
もしわからないところがあれば、ぜひ気軽にコメントしてください!
今回の記事で、皆さんの社会契約説の理解がより身近になっていただければ幸いです。
他の記事でも、教養小ネタを紹介しているので、ぜひ見ていってください!
おつかれさまでした~
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